1999年8月フランスはパリを訪れた。
当時の写真があまり手元に残っていないので、数少ない手持ちの中からフルに選んでご紹介したいと思う。
私と当時のオランダ人のパートナーのマタインは、それまで半年間滞在していたイスラエルを発ち、フランスへ向かうところだった。
次のデスティネーションはパリ。
どういう経緯でそうなったのか、恐らくテルアビブ – パリ のチケットが一番安かったからだろう。
パリからヨーロッパ入りして、最終的にはマタインの祖国であるオランダまで北上する計画だった。
テルアビブのベングリオン空港では、問題に次ぐ問題で、搭乗手続きはなかなか進まなかった。
それでなくても横柄なイスラエルの人たちの態度にフラストレーションを抱えていた私は、あまり良い気分の旅立ちということではなかった。
そんな中、長い行列に並んでいる少し目を引く白人がいた。
長い金髪を後ろで束ねていた。
南アフリカ出身のブライアンだ。
この時はまだ、フランスへ着いたらブライアンと一緒に観光に回ることになるとは思っていなかった。
ベングリオン空港にいたときから、ブライアンはチラチラと私たちの方を見て、スマイルを送って来ていた。
パリの空港へ到着すると、イミグレを出たあたりでブライアンが話しかけてきた。
「君たち、イスラエルから来たんだろ?」
ブライアンは南アフリカ出身で、世界中を旅している途中だと言った。
「良かったら、俺と一緒にパリを回らない?」
旅は道連れ、世界中のバックパッカーの若者は、こうして道連れを作っては旅を続ける。
私とマタインだってそういう関係だ。
当時の私はと言えば、パリの知識は一切ない、すべてマタインにお任せ状態だった。
オランダ人であるマタインはフランス語も少し話せたし、断然知識が豊富だったからだ。
初めて見るパリは、イスラエルとはまったく違った趣で、さすがはパリと思わせるこんなカフェもあった。
ブライアンの案は、度肝を抜くものだった。
なんと、広いパリの見どころをたった二日間ですべて見ようというのだ。
それというのも、ブライアンはパリの後はポルトガルのリスボンへ向かう予定で、パリには二日しかいないということだったから。
そんなことは私たちには関係がないはずなのだが、その時はなぜかブライアンと一緒に、超高速の駆け足でパリを回ることになってしまった。
私が印象に残っている順でご紹介したいと思う。
ジム・モリソンの墓
私としては、ロックの殿堂ジム・モリソンの墓がパリでは一番印象に残っている。
熱烈なファンなのだ。
墓がどこにあるのかは、忘れた。
だけど行ってみると、多くの若者がジムの墓を取り囲んで座り、中には生ギターを弾いている人たちもいた。
話に聞けば、ジムの墓に人が途切れたことはないという。
伝説にまでなった人だから当たり前と言えばそうかもしれない。
エルサレムのオリーブ山にあったシンドラーの墓にも、花が手向けられていたっけ。
私たちはジムの墓の前で少し過ごして、墓地を後にした。
オルセー美術館
パリは美術館が沢山あるけど、私が断トツ気に入ったのはオルセー。
当時の展示物の中で最も印象に残った絵画は「笛を吹く少年」。
美術の教科書で見たことはあったけど、まさかあんなにでかい絵だとは知らなかった。
オルセーに一歩足を踏み入れた瞬間、でかでかと迎えてくれたのがこの絵だった。
圧巻だった。
オルセーには普段、ゴッホの絵がコレクションされているはずだった。
だけどこの時、コレクションはMOMA(NY近代美術館)へ出張中で、あまり数がなかった。
ゴッホは私が最も敬愛するアーティストだ。
彼の絵が大好き。
オルセーではあまり見られなかったけど、ゴッホの祖国であるオランダでたっぷりと鑑賞できることになるから問題ない。
ゴッホを歌った曲。
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