1994年~1996の間アメリカはミズーリ州へ留学していた。
初めての冬休みに、ルイジアナ州のニューオーリンズへ行った。
不思議なことに、それだけ沢山の写真を撮ったはずなのに、今見つけられたのはモノクロ4枚だけ。
この4枚のモノクロ写真を元に、当時を振り返ってみたいと思う。
ニューオーリンズと言えば思い出すのはこの曲。
相当古い曲だけれど、私はこの曲でニューオーリンズという地名を知ったのだった。
確か、高校生の時に昼休みの校内DJで聴いたのがきっかけだ。
Dixie Queen と言えばカントリーかと思うけれど、ニューオーリンズはジャズの街なのだ。
オイスター・バー
ニューオーリンズではたっぷりと牡蠣を堪能した。
私はもともと肉や海鮮はそれほど好きな方ではない。
けれど、ニューオーリンズは牡蠣がとても有名で、街のアトラクションの一つとなっていたので、ここはひとつオイスターバーへ行ってみようという話になった。
生牡蠣にライムを絞って、カクテルソースをつけて食べるのは、結構おいしいものだと思った。
案外いくつでもいける。
生以外にも、オイスタースープやグラタンなど、色々な種類の牡蠣料理を食べた。
幸い食あたりにはならなかったけど、なる人もいるみたいだからそこは注意が必要だけど。
トラベル・バディの重要性
旅の道連れとして一緒に来たKだったけど、途中でつくづくとウマが合わないと感じた。
人と人には相性があって、合う人とはすごく合うけれど、合わない人とはどれだけ努力しても合わないものなのだ。
Kとはそんな風に感じた。
2週間に及ぶ二人旅だったけど、私は内心コロンビアの街にいるはずのルームメイトのナオが恋しかった。
ナオは日本人留学生で、女の子だけど男も女も好きというバイセクシュアルだった。
私とナオはとても仲が良く、二人でアパートにルームシェアをしていた。
ナオと私は気が合ったし、彼女と二人の旅だったらもっと楽しかったかもしれないのに、と考えていた。
私はこの後の人生で、それこそありとあらゆる場所を旅して歩くことになるわけだけど、トラベル・バディは選んだ方が良いと学んだのはこの旅においてだった。
旅立ち
いつの間にか、ニューオーリンズの街を発ってコロンビアへ戻る日になった。
どこの街でもそうなのだが、グレイハウンドのバスターミナルは街の外れにあることが多い。
ニューオーリンズも例外ではなく、フレンチ・クオーターからターミナルまで、かなりの距離を歩かなければならなかった。
タクシーという手もあったのだろうけど、当時は費用の関係かなんなのか、歩いて行ったことを覚えている。
2週間の旅の荷物は思いのほか大きく、しかもカメラを二台も抱えていたので、相当な重さだった。
道を歩いていると、ふと、道に空のショッピングカートが打ち捨てられているのが目に付いた。
そうだ、アレに荷物を入れて!
と思い付いてカートに荷物を入れていざ運び出そうとしたときに、何かふと感じる違和感。
何だろう?
このカートは、何か「生活感」を感じるのだった。
「これ・・・・」
という私に、Kが、
「うん・・・これ、「誰か」が使っているものじゃないの?」
確かにそうと思った。
打ち捨てられているように見えたけど、多分ニューオーリンズの街に沢山いるホームレスの人の誰がの「持ち物」だろうと思った。
そこで、カートを拝借するのはやめて、自力で荷物を運んでターミナルまで引き続き歩いたのだった。
やって来た道をたどり返して、いざコロンビアまで。
帰りの長距離バスの中では、いろいろとあったのだけれども、それはまた別の機会に。
一日半がかりでコロンビアまで帰り着くと、家では思いもかけない事態に巻き込まれたナオが、私が戻る日を今か今と待ち詫びていたのだった。
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