炉端焼一番 銅鑼湾

2001年~2016年の間香港に暮らした。

香港にごまんとある日本食屋の中で、私が一番頻繁に訪れた店と言えば、銅鑼湾にある「炉端焼一番」だ。

この店は、かつては銅鑼湾のリーガーデンの裏にあった。

初めて行ったのは2005年、当時出会ったばかりの香港人の彼氏(後の夫)との記念すべき初デートをした場所だ。

「炉端焼一番」の売りは炉端焼きで、店内には大きなグリルがあって、香港人の板前が付きっ切りで肉を焼いていた。

私は今では食生活が変わってあまり肉は食べないが、当時はみんなで串焼きを食べたものだった。

煙が壁や天井に染み付き、壁に掛けられている短冊メニューの色を変えていた。

そういう「いかにも串焼き屋」っぽい風情が好きだと、相方は言った。

この店にはそれ以来、一体何年通ったのか。

2008年に私たちは銅鑼湾へ引っ越したので、それからは徒歩圏内となり、料理するのが面倒くさい日は一人でも炉端焼一番へ行って、店のトレードマークだったご主人と話ながらよく食事をしていた。

ご主人はいつもボタンダウンシャツにボウタイ(蝶ネクタイ)をしていて、誕生日のお客さんにはフィドル(バイオリン)を出して曲を弾くサービスをしていた。

このご主人と私は、その後、書道を共に習う学友となる。

私はこの店で、後に書の師となるお人と出会ったのだった。

書道を習いたいと思い続けて数年、ようやく出会えた師だった。

店とは、人と人の縁を繋ぐ場所。

店で働いているのは長く勤めている子たちばかりで、知らない顔が入っていればすぐに分かった。

店内には猫が何匹もいた。

みな野良猫だったのを引き取って、店の中で面倒を見ているのだった。

私は一人でもこの店へ行ったし、相方と行くときも、仲間と行くときもあった。

友人のヴェロニカとローレンスと行ったとき。

後ろの壁に並んでいるのが短冊メニュー。

少しボケているけど、2006年の相方と私。


あれはいつのことだったのか、ある日、いつものように相方と一番の引き戸を開けて中に入ると、一見して店の中の様子が違うことが感じられた。

人間のマインドとは面白いもので、何かが違うとわかるのだけれど、一瞬、何が違うのかがよく分からない。

席についてよく店内を見回すと、違和感の正体が判明した。

開店以来ずっと壁にズラリかけられていた短冊メニューが、すべて外されていたのだった。

私たちは驚いて、一瞬口をつぐんだ。

短冊が外された場所だけ白く跡がついていて、何だか痛々しく映った。

「Losing Character! (店の)個性が無くなってく!」

相方が叫んだ。

その通りだった。

日本語では、

「いい味を出している」

と表現されるように、その店その店に独特の個性や味があるものだ。

それは、長い年月の積み重ねによって醸し出される一種の雰囲気で、この店で言えば油や煙がしみ込んだ短冊メニューがその一つだ。

そういう「いかにも」な雰囲気を求めて通っている常連たちも沢山いたはずだった。

それが失われていく・・・。

心にすき間風が吹くような、裏寂しい気持ちになった。

今から振り返れば、当時のご主人の苦悩が理解できる。

当時すでに、香港のスーパーインフレは進行中で、天井知らずの家賃の値上げは始まっていた。

来月から家賃が100%、200%値上げされるなんてことが、当たり前のように起こっているのだ。

売り上げは100%、200%アップするわけはないのだから、メニューの単価を見直したり、人件費を削ったり、料理の量や質を落とす以外に凌ぎようがないのだ。

サラリーマンやOLも同様だった。

住居の家賃がウナギ昇りで上がっていっても、給料は10年前と据え置き水準だった。

それで生活しろという方が土台無理なのだ。

一番の店の壁から短冊メニューが消えたのは、そうした事情があったのだと今なら思う。

メニューの単価を見直すために、壁から外したのだ。


それからほどなくして一番へ行ってみると、店はもぬけの殻になっていた。

店が無くなった・・・・。

ガランとした店内を見て、一瞬茫然としてしまった。

数日後、銅鑼湾を歩いている炉端焼一番の板前と偶然すれ違った。

「あ、お店・・・・」

という私に、

「移ったんだよ、あのビルの中に」

と、そごうデパートの横隣のビルを指さす板前。

どうやらお店は移ったらしかった。

その後、ご主人や他の人から事情を聴いて、お店が場所を移動して、今までの共同経営からオーナー(ご主人)の一人経営に変わって出直しを図っていることを知った。

以前からいたもう一人の板前は、別の店へ引き抜かれていったということだった。

古い店の時に比べれば、新しい店へ顔を出す頻度は減った。

すべては移ろいゆくものだけど、新しい店は何か全く別の店みたいに感じられた。

居心地のいい場所であることに変わりはなかったけど、壁の短冊メニューも、大型グリルも、馴染みの板前の姿もなかった。

新しい店では、猫は2匹だった。

以前沢山いた猫たちは、それぞれウェイトレスや板前が引き取って世話をしているという。

前の店からずっといるミーちゃんはもう20歳だった。

見る度に衰弱していくミーちゃんに私は時間があるときはヒーリングを行っていたが、2014年のある日、ミーちゃんが他界。

あとには新入り猫の伝ちゃんだけが残された。

お店は今でもビルの中にある。

炉端焼 一番 – 12/F., Macau Yat Yuen Centre, 525 Hennessy Rd., CWB
電話:(852)2890-7580、 (852)2890-7720

参考サイト


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プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

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