Sonar Hong Kong 2018 沙田

2018年3月に、所用を済ませるために数日間だけ香港に立ち寄った。

インドへ向かう途中だったのだが、実際はただ単に香港へ行きたかっただけだ。

香港へ行くと、魂が蘇る。

日曜日は、ウィルソンと会う予定だった。

私は友人のクリスの家に泊まっていたが、クリスはその日沙田で開催されている大きなミュージック・フェスティバルへ行くという。

Sonar Hong Kong だ。

Sonar Hong Kong

その日のことを書いてみたいと思う。

尚、ここに書くことは完全なる私見で、あくまでも私個人の感想に過ぎない。

決して音楽評論などではなく、単なる紀行文であることをあらかじめご承知おき願いたい。


この日、クリスはミュージック・フェスタの主催者側だと言った。

そのため入場料は無料で入れるのだと。

「もしよかったら、後から沙田までおいでよ」

クリスの言葉とともに、私はこの日をスタートさせた。

まさに、最悪な日曜日の幕開けだった。

ウィルソンとは、かなり長い間友人関係にあるように思う。

いつ頃出会ったのか・・・Club 71 で顔見知りになったのだと思うけど、詳細はまったく思い出せない。

気が付けば友達だった。

この日の午前中、私はあるハプニングを経験し気分はあまり良くなかった。

だけど、ウィルソンとも会うことだし、彼がいろいろ連れ歩いてくれることで、気分はややマシになってきていた。

普通に考えたらこれってたぶんデートなんだろうけど、ウィルソンと私だと「男二人のおでかけ」みたいな雰囲気がある。

上環にあるカフェで飲み物を飲みながら、ある事について話をしていたとき、私の気分の最悪度はピークに達した。

ウィルソンの口からあることが語られたからだった。

その時から、私気分は留まるところを知らないほど最悪なベクトルへと進んでいくことになる。

途中でウィルソンの友人であるスペイン人のカップルと合流し、4人でミュージック・フェスタへ向かうべく、電車を乗り継いて沙田まで向かった。

その道すがら、私の気分はどんどんと悪さを増していった。

そして沙田の会場についたとき、事態は最悪メーターを振り切った。

入場チケットが900ドルだと言うのだ。

今日のレートで約13000円だ。

まさかそんなに高いとは思っていなかったのだ。

絶望的な気分だった。

「払いたくない」

とごねる私に対し、見るに見かねた ウィルソンが、

「じゃぁ、ここは俺の奢り!」

と言ってカードを切ってくれた。

ウィルソン・・・いいヤツ・・・。

開場は大学のキャンパスだった。

かなりの人出だった。

開場内ではかなり知った顔を見かけた。

どうやらみんなここに来ているらしかった。

ウィルソンと私

だけど、ミュージック・フェスタと名付けられている割に、音楽はパッとしなかった。

何というか・・・音楽というか、これは DJ だろう。

バンドが何かを演奏するというよりは、DJ が数人集まって、音をプレーしているのだった。

あえて言葉で表現すれば、そんな感じ。

唯一、まだしも「音楽に近い」と私が感じたのは、日本から来ていたピアニスト3人組のプレーだけだった。

3人組のピアニスト

これはまだ聴けた。

このフェスタは一日中・・・そして夜中の夜中まで、夜通し続くということだったけど、もしもこの調子の音楽が続くのであれば、私は耐えられないと感じ始めた。

というのも、私にとっては音楽とは「グルーヴ」が命だからだ。

「グルーヴ」とは何かを知りたい方は、こちらを聴かれたし。

ここで繰り広げられていた「音」には、「グルーヴ」が無かった。

ただ音が散らかるだけで、「抜けていかない」のだ。

それはまるで・・・オーガズムに向けて快楽が体内に蓄積していくけれども、最後の最後にオーガズムに達することの出来ないフラストレーションにも似ていた。

そんな焦らされ方を何度もすると、人はやってられなくなる。

私は会場で酒を飲み始めた。

私は31歳のときから酒は飲まない人になっていたが、この時ばかりはとうていシラフでは乗り切れないと感じたのだ。

ウィルソンと二人でワイン・ブースに並んで赤ワインを買ってきては飲んだ。

夕方が近づいたとき、クリスたちと合流した。

ここまで一日私とのデートに付き合ってくれたウィルソンは、この後ジャズ・コンサートへ向かうために上環まで戻るのだった。

ウィルソンからクリスにバトンタッチされ、私は会場を回ることとなる。

この日クリスは、「メタル・ファンの友人」を連れてくると言っていた。

私が、

「誰かメタルが好きでいかした独身男性はいないのか」

と問い詰めた結果だ。

確かに・・・その彼はメタルが好きらしかった。

話も少しは弾んだ。

だけど、それだけだ。

私たちは繰り広げられる「音」に飽き、クリスは

「ブラウニーが食べたい」

と言い始めた。

そこで、みんなでブラウニーを食べるために開場を歩き回った。

いろいろ物色するけど、なかなかお目当てのブラウニーを見つけられない。

日本ではどうかわからないが、ヨーロッパやアメリカではいい歳の渋いおっちゃんたちが普通にスイーツを食べる。

アメリカでは、ごっつい体格のタトゥーがバリバリ入ったおっちゃんたちが、普通にダンキンドーナツでドーナツにかぶりついていたりする。

クリスはかなりの甘党だ。

結局ブラウニーではなくて、チョコ・クッキーで落着。

この日以外にも、最後の日の夜にクラブハウスで夕食を食べた後に、クリスがチョコケーキを買うというので私も便乗して食べたものだ。

クリスは本当にこういうものが好きなのだ。

クリスとはもともと同じバンドのメンバーで、私はよくバンドの練習中にポッキーを買いに 7-11 まで走ったものだった。

わけのわからない4人組。

この時点で私は相当酔っぱらっている。

「音」のひどさに耐えかねて、赤ワインからジン・トニックに変えて飲み続けていたのだ。

後でどんなことになるのかも知らずに。

この恐ろしい写真を撮った後に入ったDJ ハウスでの演奏はダメ押しだった。

「音楽」とは音を楽しむと書く。

だけど、このミュージック・フェスタでは音の拷問にやられた。

酒に酔って意識不明になる私をクリスが引きずりながら、二人でタクシーに乗り込んで帰路へ着くことになる。

クリスの家に到着したが、ものすごい頭痛と眩暈がするなか、昏倒するように眠りに落ちたのだった。


余談がある。

その翌日の月曜日に私は友人のサリーに会った。

サリーは、友人らから Sonar へ行こうと誘われているが、チケットが高すぎて行きたくないと言っていた。

Sonar は数日間かけて行われているので、行こうと思えばまだ行けるのだ。

毎日誰かしらが電話してきて、

「Oh Sally, you are missing so much!  サリー、Sonar を見逃すなんてあり得ないわよ!」

と言われると言っていた。

私はサリーに言った。

「You’re not missing anything, Sally  サリー、何も見逃してなんかいないよ」

私は正直、900ドル払って音の拷問を経験したいとは思わない。

メタリカのコンサートだったら数万円でも安いものだけど。

好みの問題だよね。

Sonar Hong Kong


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プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

当サイトはそれぞれの場所の思い出を綴った紀行文サイトです。

 

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