フェリックス 上環

2001年~2016年までの間香港で暮らした。

2011年から3年間、香港の路上猫の世話をするボランティアに参画していた。

猫好きの私は香港でも猫を飼っており、その関係で香港の動物ボランティアたちとはコネクションがあった。

香港では家のない猫のことを「流浪猫 Street Cats」と呼ぶ。

英語の「Stray Cats 野良猫」ではなく、「Street Cats 路上猫」と呼んでいた。

なぜなら、猫たちは飼い主と家はなくとも、去勢済みでマイクロチップも入っていたからだ。

全ての猫はSPCAのプログラム下で管理されていた。

ジャッキー


私たちの活動範囲は、香港島の上環界隈だった。

SOHO界隈の路上猫を、沢山あるコロニーで管轄していた。

猫の数は70匹前後。

もちろん私たちボランティアは全ての猫の詳細を把握している。

毎日ボランティアが持ち回りでコロニーを回って餌を与え、健康上問題がないかどうかチェックしている。

リーダーはスウェーデン出身の70代の女性セシリアだった。

ある日、私はセシリアから「コロニーに新しい猫を放す」という話を聞いた。

これはとてもおかしな話で、私たちはもともとコロニーにいる猫たちに引き取り手を見つけることを仕事としており、「コロニーに猫を放す」などということは、私たちの活動理念に反することだったからだ。

事情を聞くと、一匹とても自由奔放な猫がいて、人間と共生ができないという。

飼い主を見つけて斡旋してやっても、あちこちで粗相をしてしまうために、飼い主が手元に置いておけないのだという。

そこで、私たちの管轄する安全なコロニーに「放す」という措置が取られたのだった。

その猫はコロニーの一つに「放され」、その日から私たちボランティアが世話をすることとなった。

フェリックスと名付けられた。

ある日、私は初めてフェリックスを見かけた。

一目見たときから、私はフェリックスの虜となった。

畏怖堂々としたたたずまい、男らしい精悍な顔つき、とても個性の強い猫だと思った。

確かに、この猫は並みの人間では共生できないかもしれない。

フェリックスの性格を一言で表すとするのなら、Care Free 「自由」。

それがフェリックスだった。

このコロニーでフェリックスの写真を撮ることは、いつの間にか私の歓びとなっていた。

フェリックスは表情豊かな猫だった。

クルクルと目まぐるしく変わるフェリックスの表情をカメラに収めようと、私は長い時間をこのコロニーで過ごしたものだ。

フェリックスはその個性的な性格故に、新参者にも拘わらず、あっという間にコロニーの王者となった。

ご存じの通り、猫はテリトリーを重視する動物だ。

お互いにテリトリーをけん制し合う。

フェリックスの出現を一番嫌がったのは、ジムだった。

ジムはフェリックスが現れる前は、このコロニーのリーダー的な存在だった猫だ。

ジム

翡翠色をした瞳と毛並みが素晴らしい、それはそれは美しい雄猫だった。

私はジムが大好きで、いつも身体を撫でてあげていた。

堂々としたたたずまいも立派だった。

ある日私はセシリアから、ジムがフェリックスを嫌っていると聞かされる。

「ジムが?」

私は気づかなかったので驚いた。

ジムは後からやってきたフェリックスが自分のテリトリーを荒らすことにあからさまな嫌悪感を示し、喧嘩に発展したけれども、事実上敗北を喫し数日間姿を見せなくなったということだった。

雄猫にとって、自分のテリトリーを他の雄猫に乗っ取られるということは、私たちが想像する以上に辛いことだったのだろうと思う。

その後のジムは、すっかり意気消沈して元気を失ってしまった。

私はジムのことが心配だった。

その後ジムの活力が戻ることはついぞなかった。

私は、ジムを見かければ必ず声をかけて身体を撫でてあげた。

その後ジムは、2014年に健康上の理由から捕獲され、セシリアが見守るなかレインボーブリッジを渡った。

そんなことは一向に意に介さないのがフェリックスで、彼は持ち前の自由さを発揮してコロニーライフを謳歌していた。

ある時、「フェリックスが餌を食べない」という報告がボランティアたちから上がるようになる。

私が行ったときに観察してみると、なるほど、フェリックスは餌場に姿を見せるものの、餌を前にすると食べようとしなかった。

明らかにおかしい。

そこで、同じくボランティアのスコットと私の二人で、炎天下の日に捕獲を試みたけれども失敗に終わる。

SPCAの捕獲チームに来てもらい、本格的な網を張って捕獲しようとしたこともあったけれど、フェリックスは持ち前の自由奔放さで、ものの見事に網を破って逃げてしまった。

さすがはフェリックスだ。

私は落胆すると同時に、ますますフェリックスの魅力に惹きつけられていった。

ある日、私は一人でフェリックスの捕獲を試みることとなった。

その時スウェーデンへ帰省していたセシリアから、「キャットニップを使ってみたら」とアドバイスを受けていた。

キャットニップとはマタタビのことだ。

私はペットショップでキャットニップを購入し、それを持ってフェリックスの捕獲へと向かった。

コロニーにつくと、すでにフェリックスはそこにいた。

心地よく吹く風に身体を撫でさせながら、自然を堪能していた。

私は他の猫へあげる餌を用意するために、少しフェリックスから離れていたが、なんとその間にフェリックスが自ら開いたケージの中へ頭を突っ込んでいるではないか!

ケージの中にキャットニップが入った袋があったのだ。

さすがのフェリックスも、キャットニップには弱かったのだ。

私はそっとフェリックスに近づき、お尻を押してフェリックスをケージの中へ押し込むことに成功した。

あとは獣医へ連れていくだけだ。


出会い

獣医での診察はスムースだった。

曰く、フェリックスは何等かのケミカルを口にしたため口の中に傷があり、餌を食べられなくなったのではないかという事だった。

大したケガではないので、そのうちに良くなるだろうと。

私とセシリアの懸案事項は、このままフェリックスをコロニーに戻すかどうかだった。

私たちの活動は、猫たちにしかるべき里親を見つけてあげることも含まれる。

野生の猫を捕獲することはとても難しいので、一度捕獲して獣医へ連れていったら、できる限りを尽くして里親を見つけるのが私たちのやり方だった。

セシリアはこのままフェリックスをコロニーに戻すことを躊躇しているようだった。

そもそもフェリックスをコロニーに放したのはセシリアなのだけど、相当罪悪感を感じているように伺えた。

私とセシリアは良く話し合ったうえで、フェリックスに里親を探すことで合意した。

セシリアはスウェーデンにいたから、実際には私が活動をすることとなる。

「見つかるだろうか」という心配はあったけど、とにかくやるだけやってみるだけだった。

これは難しい里親探しになるだろうと思った。

ところが、事態は思いがけない方向へと展開する。

この獣医に勤めている男性ナースの一人が、フェリックスを引き取りたいと申し出たのだ。

彼はこの獣医に長いこと勤める若いフィリピン人のナースで、フェリックスの世話をするうちにフェリックスの虜になったのだという。

フェリックスの事情をすべて飲み込みつつ、その上で是非引き取ってみたいという。

最初は懐疑的だったセシリアだったが、彼の熱意に負け、とうとう彼にフェリックスを委ねることに決める。

いよいよ彼がフェリックスを家に連れて帰るという日、私はセシリアから頼まれて爪とぎ用のスクラッチボードとキャットニップをフェリックスのために買ってあげた。

それを持って、フェリックスは新しい家へと向かったのだった。


フェリックスは新しい家ではなかなか落ち着かなかった。

けれど、フェリックスの性格を熟知した新しい飼い主に見守られ、次第に慣れてきていると聞いた。

何度か脱走を試みその度に連れ戻されたが、飼い主との間に徐々に信頼関係が築かれつつあった。

私たちはジッとフェリックスと飼い主の変化を見守った。

ある日、私はコロニーにいたときに近所の人から声を掛けられた。

「あの猫は一体どこへ行ったの?」

フェリックスのことだった。

フェリックスは近所の人たちにも人気で、事情を知らない人は突然姿が見えなくなったことを心配していたのだ。

そこで私は事の顛末を話し「フェリックスは新しいパートナーと出会って引き取られた」と伝えた。

それを聞いた近所の人の顔は輝き、「良かった!」と言った。

あれから早6年。

フェリックスは今でも男性ナースと共に暮らしている。


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ジェス 上環

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プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

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