瑪麗醫院(クイーンメリー病院) 薄扶林 その2

2001年~2016年まで香港で暮らした。

香港島の薄扶林にある瑪麗醫院(クイーンメリー病院)には、2度ほど縁があった。

2008年相方が2か月以上に渡って入院したこともあった。

その時のことを書いてみようと思う。

その1


体力的にも精神的にも、私は限界を感じていた。

土日には疲れ果ててしまって、病院へすら行けずに、ただ家で寝ているような状態の時もあった。

そんな状態が続いたある日、いつものように仕事帰りに病院へ行くと、Club 71 のオーナーのグレイスに会った。

Club 71

グレイスは元看護士で、以前はこの病院に長いこと勤めていたという。

その関係で、相方を見舞ってくれたのだ。

それでなくても、相方の元には毎日ひっきりなしに見舞客が訪れていた。

相方の友人関係もいれば、私の友人関係もいれば、Club 71 関係者もいた。

とにかく2か月の入院期間中に見舞い客が50名を越したというのだから、病院のナースたちが驚いていた。

相方には不思議なカリスマがあって、自然と人を惹きつける。

私もそれに惹きつけられた一人なのだけど。

だからこの人は、たぶん孤独とは無縁だ。

本人にその自覚はないけれど。

その日、グレイスと私は一緒のタクシーで麓まで降りることにした。

その時に、相方の病状の診断の話になった。

もう2度も生体検査をしていた。

その最終結果が出るのが、次の月曜日だという。

「そう、じゃぁ、その日が重要ね」

とグレイスは言った。

その日は、簡単に言えば相方が今後も生き延びられるかそれとも余命数か月か、判明する日なのだ。

気持ちの持っていき場がないまま、私はタクシーの中で黙っていた。

絶望的な気持ちとともに、かすかに怒りの感情もあった。

どうしてこんなことで幸せが奪われなくてはならないのかという、どこに向けたら良いのかわからない怒りだった。

だけど、どうやってそれを表現したら良いのかわからなかった。


そしてその日はついに来た。

結果、癌ではないことが判明。

肝臓の中に嚢胞がいくつかあって、それが炎症を起こしたらしい。

手術で取れる位置にはないので、脇腹から管を通して肝臓まで貫き、嚢胞の炎症を抑える治療が取られるということだった。

必然的に治療は長期に渡るとのこと。

それからは少し気が楽になった。

入院は相変わらず辛いものの、命に係わるような病状ではない。

そのことが、一気に心の重しを取り去っていた。

相方が入院していたのは肝臓病棟で、見舞いに来てくれた私の日本人の友人が言ったものだ。

「ここに入院してる人って、顔色、悪いよなぁ」

その通りだった。

肝臓疾患なのだからそうだろうけど、みんな顔色が緑色になってしまっていた。

院内は全面禁煙で、タバコを吸うためには敷地の外まで出なくてはならない。

クイーンメリーは人里離れた山の中にあるのだから、近所にタバコを買いに行けるような場所もなかった。

私はいつも見舞いに行くときにはタバコを買って持って行っていたが、相方の相部屋の白人男性が、いつも一人でタバコを吸っているのを知っていた。

イギリス育ちでイギリス国籍の相方と彼は必然的に話し相手となり、よく二人でタバコを吸いに行くようになった。

あるとき、私はタバコをひと箱買っていって、白人男性に進呈した。

彼は独り身の外国人で、香港では見舞客が一人もいなかったのだ。

自分でタバコを買いに出かけるのも簡単ではないだろうから。

外国で病んだり入院したりすることが、どれほど心細く寂しいことか、私は良く知っている。

案の定、タバコをプレゼントすると、彼はとても喜んでくれた。

彼は重度の肝不全で、見たところあまり良くなさそうだった。


病院へほとんど毎日来てくれたのは、相方のゴッドサンであるベンだった。

母親はマレーシア華僑、父親がスコットランド人だ。

ベンの祖父が相方のゴッドファーザーで、ベンが生まれた時には相方がベンのゴッドファーザーになった。

ベンの実父は子供の頃浮気をして離婚していたので、およそ後見人として頼れる男性は相方しかいなかったのだ。

ベンは当時、イギリスの大学を卒業して香港へ戻ってきたばかりだった。

毎日相方の見舞いに来ては、マッサージをしたり、身の回りの世話をしてくれた。

その時からベンは「誰かいい子いない?紹介して」と言っていたが、その数年後に仕事の面接で出会った面接官の女性に猛アタックをして付き合いだし、2013年に結婚することとなる。

ベンは本当に素晴らしく素直で真っ直ぐな好青年なのだ。

2012年 ウォンド ベン 私

この写真に写っている韓国系ドイツ人のウォンドは、これから数年後に癲癇の発作を起こして他界した。

25歳の若さだった。

相方の身の回りの世話をしてくれたのは、もう一人、フィリピン人メイドのテスがいた。

テスはもう10年以上も相方の部屋の掃除や洗濯を請け負っていた。

週に何度か相方の家へ行き、洗濯物を交換したり、足りない服を持って来たりしているのもテスだった。

私が疲れてとうとう家事も出来なくなったと知った相方が、テスを私の家へ送り、私が仕事へ行っている間にテスが家の中のことをすべてやってくれたこともあった。

この時から、私は家のことはテスに頼むことにした。

自分で家事をすることすらも出来ないほど、忙しくなっていたのだ。

お陰で部屋はいつもキレイで快適だった。


相方の2か月に及ぶ治療は終わりつつあった。

とても長い闘いのように感じられたが、振り返ればたったの2か月だった。

けど、その間に何かがすごく変わった気がしたのだ。

すべてが変わったと言っても良いかもしれない。

相方が病院から出て来たら、すべてが変わった。

その時から、私たちは結婚へ向けて進み始めたのだ。

人生、いつ何が起こるかわからない。

明日もまだ生きているかなんて、わからない。

だから、今やることは今やっておいた方がいいのだ。

何かがすごく吹っ切れた気がしていた。

世界が違って見えた。


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瑪麗醫院(クイーンメリー病院) 薄扶林 その1

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プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

当サイトはそれぞれの場所の思い出を綴った紀行文サイトです。

 

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