瑪麗醫院(クイーンメリー病院) 薄扶林 その4

2001年~2016年の間香港に暮らした。

香港では2010年か2011年に、飼い猫に腕を噛まれたところが化膿して、入院して手術を受けた。

当時の写真は手元に一枚も残っていないのだから、記憶を手繰ってこの記事を書いてみることにする。

その3


「緊急手術」と言いつつも、それから実に3日3晩、飲まず食わずで手術を待つこととなった。

入院した翌日には車椅子に乗せられて、X線を撮りに行った。

神経が集中している場所なので、しっかりと計画して開けなければ、後で手が使えなくなったら困る。

8人部屋の面子にも少しずつ慣れてきた。

一番若いのは恐らく20代の女の子で、よく彼氏が面会に来ていた。

あとはみな50代以上に見えた。

香港人の女性はみんなたくましい。

恥じらいとかないし、こと女だけの病棟なんて、男が来たらびっくりするようなことが繰り広げられている、いや、男も面会に来ていたがそんなことは一向にお構いなしだ。

クイーンメリーは患者で溢れかえっていた。

病室に収まり切らない患者は廊下にベッドを並べて寝かせていた。

夜中に気が高ぶった入院患者が取り乱して、ナースに怒鳴り散らしたりしているのを目撃した。

私は家に残して来た猫たちの事が心配で、気が気ではなかった。

チョコをどうするか、それが当面の懸案事項だった。

こういう事態になったからには、もはや今の状況を維持することはできないことは明らかだった。

そんな心配もあって、入院しても気が休まる暇はなかった。

食べ物も飲み物も採らず、ただひたすら手術待ちだった。


それは突然来た。

ベッドでスヤスヤと眠っていた午前2時。

突然ナースが大勢やってきて、「今から手術です」という。

パジャマから手術着に着替えされられ、ストレッチャーに載せられて手術室まで移動する。

いつもドラマで見ているシーンだ。

実際に自分がやるとなると気分も違うものだと思った。

手術室に入る前に、一瞬ドクターが来た。

女医だった。

私はなんらかの痛みを感じ、絶叫したのか呻いたのか、すると女医が来てこう言った。

「手術、受けたいの受けたくないの?」

さすがは香港女だ、気が強い。

だけど私も負けてはいない。

「受けたいわけねぇだろ」と言うと、「でも受けないとね!」という女医。

私は麻酔の時に受ける静脈注射が大嫌いだ。

香港で使っている薬は何だろう?

まるで腕がもぎ取られるような激痛が走るのだ。

これは何度受けても耐えられない。

薬が血管を通って全身に巡るのを体感するほどの激痛が走るのだ。

その度に大絶叫してしまうが、同時に笑気ガスを吸い込んで意識を失うのが常だった。

気づくと手術は終わっていた。

左腕を見ると包帯がグルグル巻きになっていた。

朦朧とした意識の中を部屋まで戻る。

ベッドで眠りに落ちると、気づけば朝だった。


朝になったので、私はベッドから起き上がり、外までタバコを吸いに行こうと思った。

手術は終わったのだから飲み物も飲める、一階のスタバによってカモミールティーでも飲みながら、タバコを吸おうと思った。

点滴のスタンドをガラガラと押しながらエレベーターへ乗っていざ外へ。

ハーブティーを片手にタバコを吸っていると、心なしか世界が回っているような気がした。

麻酔のせいだろうか。

気を取り直して病室へ戻ろうと来た道を戻ったが、エレベーターを降りた辺りで意識が朦朧とし始めた。

もう限界だった。

私は点滴をしたまま廊下に倒れ込んでしまった。

どれくらいそこに倒れていただろうか。

香港の病院では、廊下で人が倒れていてもみんな素通りしていく。

そんなこと、いちいち気に留めてはいられないのだ。

声を出すことも動くこともできない私は、誰かが気に留めてくれるまで、そこに倒れているより他術がなかった。

私が倒れた一部始終を遠くから見ていた掃除係の人が、「あそこに日本人が倒れてるよ」と部屋係のナースに伝えた。

ナースたちが数名来て、ずっとそこに倒れていた私を引き起こし、部屋まで引きずっていった。

「手術が終わったからって、タバコ吸いに行って、何倒れてんだよ」と言われた。

私はそのままベッドに入って意識が戻るまで眠り続けた。

3日3晩飲まず食わずだったが、今日からは食事が出た。

と言っても、あまりに粗末な食事で、ちょっと食べられなかった。

決して美食を求めるわけではないが、人間が食べられる食事の限度というものがあるような気がする。

それで、院内にある Cafe de Coral(大家楽)まで食事をしに行くことが多かった。

毎日見舞いに来てくれる相方が、地元から薬膳スープを買ってきてくれることもあった。

なんでもいいから、しっかりしたものが食べたいと思った。

しばらくすると例のイケメンドクターが来て、腕を診察した。

私の手を取って、指が全部動くかどうかを確認した。

腕が使えることも確認した。

私の傷口は、縫合されていなかった。

中に入っている菌が完全に死滅したことを確認してから傷口を閉じないと、また化膿してしまうから、数日間は傷口を開いたままにしておくのだ。

傷の中を見て確認したドクターは、「よし、数日間このままでいて。明日の朝には教授が回診にくるから」と言って去っていった。

相変わらずカッコいい立ち去り方だと思った。

それからさらに3日間、私は開いた傷口をかばったまま、入院生活を続けた。

ある日の夜、同部屋の20代の女の子がいなくなったと思ったら、夜中に戻ってきた。

手術だったのだ。

後から聞いた話によると、皮膚移植を受けたということだった。

皮膚移植は大きな手術だ。

私の手術はそれに比べればまだかわいい方だった。

つづく


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瑪麗醫院(クイーンメリー病院) 薄扶林 その3

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プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

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