バニアス イスラエル

1999年2月から6か月間イスラエルへ滞在した。

レバノン国境にほど近い街キリヤットシモネの近くにあるキブツ「クファー・ブルム」で出来た一番初めの友達は、ドイツから来ていたドミニクという女の子だった。

ドミニクは私よりも数日前に到着したということで、私が到着した翌日に声をかけてきた。

「あなた、昨日来た人でしょ?もしよかったら、明日私とヒッチハイクで近場の観光スポットまで行ってみない?」

当時イスラエル国内を旅する若者は、よくヒッチハイクをしていた。

イスラエル人でもヒッチハイクをする人は多かったけど、私はあまりお勧めしない。

理由は危険だからだ。

みんながみんな信用できる人ばかりではない世の中だから。

当時はまだ若く(25歳)、私はドミニクの案に乗って、次の日に二人で近くにある「バニアス国立公園」まで行くことになった。


次の日は朝早くからドミニクと二人でキブツを出た。

私はキブツに着いたばかりで、ボランティアたちの顔も名前もまだ全然わかっていない頃だった。

とくに白人は、よほどの特徴がない限り顔の見分けがつかない。

ドミニクと私は並んで道を歩きながら話をした。

「あなた、学校で一番好きな教科は何?」

当時の私は25歳だったけど、改めて学校の教科で一番好きなものは何か?って考えたことがなかったので、返答に困った。

「国語・・・かなぁ」

私は文学が好きだったので、現国が好きだったのだ。

「私は・・・哲学が好き」ドミニクはそう言った。

その時に、ドイツでは高校から哲学を学ぶのかと少し驚いた。

当時のヨーロッパの若者は、高校を卒業した後の数年間、世界を放浪して歩く人達がとても多かった。

ドミニクもその一人で、大学に行く前にイスラエルへ来たのだった。

イスラエルの後はドイツに戻って医大へ進みたいという希望を持っていた。

「そろそろヒッチハイクしましょ」ドミニクが言った。

イスラエル式のヒッチハイクは少し変わっていた。

通常は、親指を立ててヒッチハイクするのだろうけど、イスラエルでは人差し指で地面を指して、顔を下に向けて指を見つめるポーズがヒッチハイクのポーズだった。

ドミニクと私は二人でこのポーズをとって車が止まるのを待った。

何台目か行き過ぎたところで、止まった車があった。

中にはイスラエルの若い男たちが何人か乗っていた。

「どこまで行くの?」と聞かれたので、「バニアスまで」と答えたら乗せてくれるという。

ところがこの車がメチャクチャ怖かった。

とにかくものすごいスピードで走るのだ。

信号などはない一本道とはいえ、このスピードは危険だ。

ドミニクと私は生きた心地がせず、ようやくバニアス付近で車を降りた後にドミニクが「もう二度とあぁいう車に乗るのはやめましょ!」と言った。

その通りだ。

女一人でヒッチハイクはしてはいけないし、二人でも怖い車には乗ってはいけない。

女の旅は本当に面倒くさい。

だけど安全第一。

バニアスから眺めたティベリア盆地

バニアスは景色の良い広い公園だった。

聖書の中に描写されているような景色だと思った。

観光バスで来ている人たちもいて、ガイドが話している言語を聞くとドイツ語だった。

「ドイツの人たち?」とドミニクに聞くと「たぶんオーストリア」と言っていた。

ドミニク

当時の写真はあまり残っていない、手元にあるのは4枚だけ。

当時のドミニクはまだ21歳。

1999年。

10年後に私が香港で結婚したときには、当時住んでいたレバノンから香港まで来てウェディング・パーティーに出てくれた。

それくらいの親友になったのだ。

この時が初めての出会い。

イスラエルへついて3日目くらいの私

敷地内にある滝の前で撮った写真。

本当はもっと沢山写真があったはずだったけど、20年も経てば度重なる引っ越しで紛失したり、いろいろある。

ドミニクと二人で一通り公園内を見て回った後は、再びヒッチハイクをしてキブツまで戻った。

ヒッチハイクはバス停があるわけではないので、乗るのも降りるのも相手の都合ということがある。

なんとかキブツまでたどり着いた私たち二人は、出発したときはまったく逆方向からキブツへ戻ることとなった。

道なき道をかき分けるようにして進むと、そこはボランティア居住区で、ボランティアのニックとイェンスが芝生の上でフリスビーをして遊んでいた。

「どこから来たの君たち?(どこ行ってきたの?)」というニックに、「バニアスまで」と言ったまま、部屋へ直帰した私はそこから記憶が無くなった。

眠りに落ちてしまったのだ。

日本から乗り継ぎで20時間以上のフライトをこなしてイスラエルに到着してから、まだ3日しか経っていなかった。

時差ぼけがひどかったのだ。

それで、眠りに落ちたまま起きることが出来ず、その日の夕食を食いっぱぐれてしまった。

あとで同じくドイツから来ていたサンドラから「あなた夕べどうしたの?夕食こなかったじゃない?」と聞かれ、「疲れすぎて寝てたんだよー」と答えたのを覚えている。

確かにあの時は泥のように眠った。

その次の日からキブツでの仕事が始まった。


Blissful Moment では常時旅基金を募っています、ご協力できる方は是非お願いします★

銀行振込で寄付頂ける方はこちら

銀行振込

PayPalはこちら

 

 

恋人のママとルクソール エジプト

ナイル河筏(いかだ)下りツアー エジプト その1

関連記事

  1. キブツ Kfar Blum イスラエル その4

    1999年2月~8月まで半年間、私はイスラエルに滞在していた。25歳…

  2. アッコ イスラエル

    1999年2月から6か月間イスラエルへ滞在した。レバノン国境にほど近…

  3. 爆弾シェルター イスラエル その1

    ここに書く話は、私の人生の中で恐らく最もクレイジーで、かつ華々しかった経験の…

  4. 死海 イスラエル

    1999年2月~8月までイスラエルへ滞在した。様々な事情から、手元に…

  5. 爆弾シェルター イスラエル その2

    1999年2月~8月までイスラエルに滞在した。その1はこちら…

  6. キブツ Kfar Blum イスラエル その3

    1999年2月~8月まで半年間、私はイスラエルに滞在していた。25歳…

  7. ガラリア湖とその付近 イスラエル

    1999年2月から6か月間イスラエルへ滞在した。レバノン国境にほど近…

  8. キブツ Kfar Blum イスラエル その2

    1999年2月~8月まで半年間、私はイスラエルに滞在していた。25歳…

プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

当サイトはそれぞれの場所の思い出を綴った紀行文サイトです。

 

プロフィール詳細はこちらから。

最近の記事

PAGE TOP