キブツ Kfar Blum イスラエル その2

1999年2月~8月まで半年間、私はイスラエルに滞在していた。

25歳だった。

六芒星を国旗に掲げるこの国に、私は縁があった。

当初は、キブツへ行ってボランティアをするつもりで、最初の数か月はその通りになった。

レバノン国境にほど近い街キリヤット・シモネから少し南へ行ったところにある Kibbutz Kfar Blum にボランティアとして滞在した。

当時は私も含め、世界中から18歳~35歳の若者が、ボランティアをしにイスラエルへ来ていた。

私が2月にキブツに着いたとき、Kfar Blum にはすでに、イギリス、オランダ、ドイツ、デンマーク、オーストラリア、韓国からボランティアたちが来て滞在していた。

みんな好き好きに来ては、好き好きに去っていく。

滞在期間は最長で6か月間認められていた。

その1はこちら


サリー

一番初めに出会ったボランティアは、ドイツ人のサリーだった。

サリーは当時イスラエル人の恋人アダムと付き合っていて、その関係でキブツに滞在していた。

サリーは駆け寄ってきてサイモンに話しかけた。

「サイモン!いったいどこでこんなかわいい子見つけてきたの!」と言った。

その後私の手をとって握手して、「なんか気が合いそう!よろしくね!」と言った。

その言葉通り、20年後の今日までサリーと私は友人関係を続けている。

今ではオランダで暮らす二児の母。

この縁は絶対に壊れない。

マイケル

次に出会ったのは、イギリスのリバプール出身のマイケルだった。

マイケル マタイン

リバプール出身の人は何人か知っているけど、彼らの話す言語を私は理解出来ない。

私の友人のクリスもリバプール出身だけど、彼らの話す言語は英語だとはとても思えない。

この時も、彼の名前がマイケルであることを理解するのに、30分くらいかかった。

私とマイケルはこの後一度喧嘩をし、口を利かなくなったことがあった。

一か月くらいも口を利かなかったのか、その後何かのきっかけでまた話すようになった。

シルビア 私 マイケル ドミニク

イェンス(Jens)

デンマーク出身の超絶イケメンのイェンスは、ボランティアの中ではリーダー的な存在だった。

いつも仕事が終わるとオーストラリア人のニックと二人で中庭に出てチェスをしていた。

イェンスとニック

私はこの頃チェスが出来なかったが、二人の対戦を毎日見るうちに興味が湧き、そのうちにマタインが私にチェスを教えてくれてプレイできるようになった。

男のチェスは正直怖い。

負けることに耐えられないのだ。

特に女に負けることだけは我慢がならないらしい。

それでなんども八つ当たりされたことがある。

話がそれたけど、イェンスは私と同じ棟に住んでいる隣人だった。

イェンスと私

この棟には私とイェンスしか住んでいなかった。

イェンスはスピーカーを持っていて、時々私に貸してくれた。

それで私は大好きな音楽をスピーカーから聞くことができた。

「You have very cool taste for music. 君、音楽のセンスいいね」とある日イェンスはみんなの前で言った。

イェンスのことを好きな女の子は沢山いたから、その一言で私に嫉妬する女の子もいた。

「ももはどんな音楽が好きなの?」とわざわざ探りを入れてくる子までいた。

当時は部屋でこんな音楽を聴いていました。

 

イェンスがわざわざ私のことを褒めたのは、彼が私に全く興味が無かったからだ。

イェンスは何というか、私には少し高嶺の花すぎた。

イケメンすぎるのだ。

超絶イケメンは鑑賞するにはいいけど、付き合うとなると少し現実味がない。

デンマーク国旗の下で酔っぱらうイェンス

ニック

ニックはオーストラリアから来たとーーーーても穏やかな人だった。

寡黙で多くを語らず、いつもじっとみんなの横ですべてを観察しているような人だった。

チェスが好きで、イェンスと仲が良かった。

イェンスがキブツを発った時には、思わず涙を見せながら寂しさに堪えていた。

イェンスを見送ったのはニックと私の二人だった。

ニックは私を見ながら「今、すっごい悲しい」と言った。

私は密かに、マタインと付き合うことにならなければ私はニックと出来ていたんじゃないのかという気がしていた。

ニックと私は妙に波長が合った。

何かを言葉に出して伝え合わなくても、波長が合ってお互いに相手が何を考えているのかわかる相手というのがいるものだ。

ニックと私はちょうどそんな感じだった。

ただ、マタインの方が積極的だった。

私とニック

私とニックは仲が良かった。

ニックはよく一人で部屋で瞑想していて、私はたまにお邪魔して二人で瞑想をしたこともあった。

私とマタインが付き合うことになったとき、ニックが怒っていたのを私は知っている。

あぁ、悲しきすれ違いよ。

ニックが最後に私にくれた言葉は「take care of Martijn. マタインをよろしく」だった。

20年前の淡い恋。

その3へつづく


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キブツ Kfar Blum イスラエル その1

キブツ Kfar Blum イスラエル その3

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プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

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