Club 71 SOHO その1

2001年~2016年の間香港で暮らした。

セントラルの SOHO にある Club 71 は、私の香港生活を語るには欠かせない場所だ。

私と今でも繋がっている香港の人たちは、ほとんどがこの場所で出会った人たちだ。

ここで多くの人たちと出会い、交流し、別れを経験した。

人の入れ替わりが激しい香港では、人々はやってきては去っていく。

楽しいときもあれば、そうでないときもあった。

今でもいる人もいれば、亡くなった人もいる。

Club 71 は変化の激しい香港にあって、開店から約20年間同じ場所にあり続ける、常連たちにとっては心の我が家だ。

オーナーはグレイスという名の元看護士の女性。

Club 71 の前身は SOHO にあった Club 64 でグレイスのご主人が経営していた。

グレイスはその時に共同経営者としてバーの経営を覚えたらしい。

ご主人と別れることになり Club 64 が閉店になったとき、グレイスは一人で Club 71 を開くことになったということだった。

64とは言うまでもなく天安門事件が起こった6月4日のことを指している。

71とは2003年に香港で大規模な反体制デモが起こった7月1日のことだ。

香港は複雑な場所だ。

中国であっても中国ではない。

人々が話す言語は広東語。

中国本土や台湾の公用語の北京語ではない。

言語は民族の誇りだ。

香港の人々は香港人としてのアイデンティティを広東語に見出している。

義務教育で北京語化が進められる中、人々は北京語で話すことを断固拒否している。

中国に飲み込まれつつも、民主化の火を絶やさぬように最後の抵抗を続ける香港において Club 71 は単なるバー以上の存在意義を持っていると私は思っている。

(動画ではグレイスが登場しています 広東語に英語の字幕)


出会いと常連たち

私が Club 71 と出会ったのは2005年の10月のことだった。

当時付き合い始めた香港人の彼(後の夫)に連れられて行ったのが始めだった。

店先にはグレイスのパートナーのリッキーが一人で座っていた。

一目見て通常のバーとは違うと思った。

SOHOにある他のバーやランカイフォンにひしめくバーとは何かが違う。

SOHO のハリウッドロードから少し入った裏道にある、知る人ぞ知るバーという趣だった。

常連客の中には私のような普通の OL やサラリーマンもいることにはいたが、ほとんどが映画監督、プロデューサー、写真家、ミュージシャン、画家などのクリエイターだった。

夜になると皆自然とここへ足が向き、世間話をしたり情報交換をしたりジャムセッションをしてから家路につくのが常だった。

Club 71は香港のサブカルチャーの拠点となっている感があった。

この場所で出会う人々はとにかく個性が強かった。

いわゆる普通の人などはいない強烈さ。

ギター職人としての腕はピカイチだけどいつも貧乏なイギリス人のサイモン、親譲りの古美術ギャラリーを一人で経営しているが落ち着きがまったくないサリー、香港の音楽シーンの中心的人物であるミステリアスなコン、イギリスから移住して30年のトランぺッタージョン。銃をコレクションするのが趣味でいつも新しいビジネスの話をしてるミン、近所に彼氏と娘と暮らしているシングルマザーのヴェロニカ、香港在歴23年のアメリカ人の詩人のマデリン、ちょっといかれているイギリス人のアーキテクトのニック、酒を飲みすぎる弁護士兼ギタリストのクリス。

写真は映画プロデューサーのアンディと写真家のジョン・フォン。


ギター職人のサイモン

ギター職人のサイモンは知る人ぞ知る腕前で、エリック・クラプトンのギターも扱ったことがあるというほどだった。

2007年11月 私のベースを調整してくれるサイモン

とにかく変わり者で一般に馴染めず、人里離れた島に犬7匹と日本人の彼女と暮らしているということだった。

サイモンとトランぺッターのジョンは親友で、いつもこの場所で二人で世間話をしていた。

犬が大好きなサイモンに対して犬の食肉の話をしては怒らせたジョン。

「ジョンはいつも食肉の話をする。俺が嫌がることをわざとしやがる」

サイモンは怒ってバーを後にしても、次の週にはまたジョンと一緒に座って話をしていた。

私とサイモンは仲がよく、ミュージシャンの中には私たち二人が付き合っていると思っている人もいたほどだった。

だけど私はサイモンとは付き合っていないし、付き合いたいと思ったこともなかった。

サイモンも私も二人とも率直な人間で、およそお世辞や社交辞令ということが言えない。

だから二人の間はいつもすごくダイレクトだった。

そのせいで彼とはあるとき大喧嘩をした。

彼と10年付き合った日本人の彼女が出て行った時のことだ。

荒れていたサイモンと喧嘩をし、その後何年も口を利かなかった。

Club 71 で見かけても知らん顔をしていた。

それに自分の生活の変化が激しくいつも忙しかった。

長い年月が経って、偶然ライブハウスで見かけたときにお互いにまた話をするようになった。

いつだったかバンドのリーダーのクリスが、

「Simon’s got a new girl friend. Quite serious. サイモンに新しい彼女ができた。真剣らしい」

と教えてくれて、サイモンは2013年にその人と結婚しClub 71 でレセプションを行った。

最近では2017年に子供が生まれたと聞いた。


トランぺッターのジョン

トランぺッターのジョンとは、私の結婚のウィットネス(公証人)になってもらうほど仲が良かった。

イギリスから香港に移住して30年のジョンは、最後までセントラルにあるグラッパーズというイタリアンの店でトランペットを吹いていた。

ジャズバンドを主宰していて、私のウェディングの生演奏を手配してくれたのもジョンだった。

私たちの結婚の公証人になってもらえるかと聞いたら、

「もちろん!」

という。

そこで、結婚式当日成約のサインの時にジョンを呼ぼうとすると、彼は喫煙所でタバコを吸っているところだった。

まさか本当に公証人になるとは思っていなかったらしい。

呼ばれて慌てて檀上へ登ろうとしたけど、その前にジャケットがないからと言って、司会者のタキシードを借りて着てようやく席についたのだった。

ジョンはこのとき、トランペットを演奏したくれた。

料金は要らないと言った。

私のウェディングで一番の思い出はジョンのトランペットで、今の人生が終わった時私がもう一度逢いたいと願うのはジョンだけだ。

私がジョンと最後に会ったのは、私が猫のボランティアで路上猫の餌やりに奔走しているときだった。

上環の階段坂の途中で猫の餌を準備しながらふと顔をあげると、少し離れたところにトランペットを持ったジョンが立ってこちらを見ていた。

「どこ行くの?」

と声をかけると、

「今日はグラッパーズだ」

というジョン。

ジョンはこの辺りにフィリピン人の奥さんと、その娘さんと孫娘たちと住んでいるのだ。

ちょうどそのとき、私の隣にはポールというアメリカから来たベーシストが立っていた。

私もベーシストだし、ポールもベーシストだし、二人とも猫が好きなんで意気投合して一緒に猫に餌をあげていることろだった。

ポールにジョンを紹介すると、二人のミュージシャンも意気投合して話を始めた。

トランペット片手に階段坂を下るジョンについて、ポールも去っていった。

二人の後ろ姿を見送ったのが、私がジョンを見た最後となった。

ジョンは2013年に他界した。

その2につづく


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パタン ダバール広場

Club 71 SOHO その2

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プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

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