上海 中国 その1

私が初めて中国へ行ったのは1997年。

仕事の出張で日本から香港経由で中国の工場まで行ったときだった。

私の知る中国とは広東省などの華南地区で、上海や北京などの華北地区は未知の世界だった。

初めて上海を訪れたのが2006年。

日本の大学時代の友人(男)が、中国人の奥さんと結婚して上海に暮らしているところを訪ねたときだった。

彼らは上海の地で、まさしくこれから人生を始めようとしていた。

女の親友Yとは香港で4年ルームシェアをして暮らした。

私たち3人は18歳の時に出会い、それ以来ずっと友人関係を続けていた。

Yとは15年に渡る友人関係を持ったが、その後疎遠になり、今では付き合いはない。

当時、私たちたちは皆31歳で、人生はまだまだ先が長かった。

仕事のこと、恋愛のこと、将来のこと、いろんな心配や不安を抱えていた。

このサイトを起ち上げでもしなければ、思い出すこともなかった旅なのかもしれない。

思いがけずに写真を洗い出す中で、時の流れの早さを感じた。

ここに掲載する写真は2006年当時の上海の風景で、今その風景を見ることはもうできない。

情報は新しいに越したことはないのだろうけど、こういうノスタルジーも悪くないなと思い直す今日この頃。


泊まったホテルの名前はもう覚えていない。

川沿いの見晴らしの良い部屋だった。

当時の上海のあまりにも未来チックな街並みに、ある意味新鮮な興奮を覚えていたように思う。

中国がすごく変わっていく真っただ中にあった時期だ。

手塚治虫が昔漫画に描いた未来予想図にそっくりだなと思った。

私は他のメンバーに比べれば中国との縁は薄い。

私を除く他のメンバーは、みんなもっと濃い縁を中国と繋いでいた。

だから、私には珍しく、あまり何の下調べもせず、かなりお気楽極楽に出掛けた旅だった。

ホテルの前には客待ちのタクシーが連なっていたが、行先が方向違いだと乗せてくれない。

中国では、乗車拒否はタクシーの権利なのだ。

いつも先頭に陣取っているタクシーの運転手から、私たちは何度も乗車拒否された。

あまりにも毎回拒否されるので、最後の日にダメ元で行ってみたら、運転手は行先を書いた紙をしばらく睨んだ後で、顎で後部座席を指して「乗れ」と言ったので、私たちは思わず笑ってしまった。

香港と中国は同じだと思う方もいらっしゃるかもしれないが、香港と中国はまったく別の場所だった。

言葉も、空気も、食文化も、人も、通貨も、何もかもが違った。

私はすっかり香港に慣れていたので、中国のあらゆることが新鮮でもあり、また受け入れられなくもあった。

とくに、不衛生なこと極まりない部分は、最後までどうしても慣れなかったことの一つだ。

それに比べれば、香港はまだしも清潔が保たれている。


上海の旧市街地は、昔の面影を残した建築物が保たれていた。

いわゆる旧市街地の中はどこの国の都市でもそうだろう。

こういういかにも上海然とした街並みも、あることにはあったのだ。

旧市街地での楽しみの一つはお茶だった。

親友のYは香港で中国茶を学んでいたし、私も少しくらいは中国茶の知識があった。

下の写真は、中国の珠茶(華茶)。

味や香りはもとより、見た目も愛でるために、ガラスの茶器で提供される。

蒸し卵などのお茶請けと一緒に出される。

日本ではお茶請けは甘いお菓子が多いのかもしれないけれど、中国ではしょっぱいお茶請けが一般的だった。


旧市街地から出ればそこは近代化が進んでいる上海だった。

ケバケバしいネオンサインがすごい・・・これが2006年当時の上海の夜だ。

私が特に気に入っている写真はこれ。

どんな加減か、ものすごく幻想的でアンニュイな雰囲気を持った一枚に撮れていると思う。

上海の銀座と呼ばれる界隈を夜歩いていたのだけれども。

その後に私たちは上海のカラオケボックスへ行ったと記憶している。

タクシーの中から撮影した一枚。

前方に見えるのはテレビ塔。

今の上海はもうすっかり様変わりしたけれども、私が知る上海はこのときの記憶のみ。

その2へ続く


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チャングー バリ島

プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

当サイトはそれぞれの場所の思い出を綴った紀行文サイトです。

 

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