レコーディングスタジオ 西貢

2001年~2016年まで香港で暮らした。

私たちのバンドがファースト・アルバムをレコーディングしたのは2009年7月。

当時私は6月に結婚したばかりで無職の時だった。

リーダーから西貢(サイクン)にあるスタジオで、2泊3日かけて泊りがけでレコーディングを行うと告げられた。

それまでは九龍(クーロン)にあるスタジオを使っていたが、リーダーのクリスが見つけてきたアメリカ人のプロデューサーであるピーターの自宅兼スタジオだという。

私はたまたま無職だったからいいようなものの、週末丸潰しでレコーディングじゃ、フルタイムの仕事をしながらではキツイだろうと思った。

その後私たちはラジオ出演なんかもしたのだけれど、これまた無職の時だからよかったようなものの、仕事をしていたらできない活動だった。


西貢は新界にある小さな村。

シークレット・プレイスとも呼ばれ、裕福な西洋人たちが多く住んでいる地区でもある。

私の友人の香港人たちも何人か西貢に住んでいる。

スタジオはタウンハウスだった。

タウンハウスとはいわゆる一軒家。

住宅事情の悪い香港で、タウンハウス丸ごとを所有するには新界まで行くか、よほどの資産がなければできないことだ。

一階がリビング・エリアとゲストルーム、2階を全部ぶち抜いてスタジオにし、3階は夫妻の寝室らしかった。


スタジオ

グランド・ピアノまである本格さ。

私はピアノは好きだけど、弾けない。

何しろ赤バイエルすらもコンプできずにドロップ・アウトした人間だ。

当時若干6歳。

スタジオでは各人がブースに入ってスタンバイした。

クリスはギター。

ジェームスはドラムスとヴォーカル。

そして私はベース。

この時私が使用していたベースは2台目で、当時の親友だったギター職人のサイモンが見つけてきて、

「これ弾きなよ」

と勧めてくれたものだ。

バットバツ丸ベース。

この当時、フェンダーではハローキティのギターとバツ丸のベースをプロデュースしていた。

これを気に入ったのは私だけではなく、クリスが小学生の娘用にも購入していた。

クリスの自宅にある音楽部屋に今でも保管されている。

私が使っていたベースは、バンドを辞めたあとしばらく手元に置いていたが、後に友人のウィルソンが希望したので譲ってあげた。

今は製造されていてないプレミアがついて、結構いい値で取引されていると聞く。

レア品。

私たちがプレーするのはオリジナル。

いつもクリスがリフを考えて、歌の詩はほとんどジェームスが書いていた。

ジェームスの本職は彫刻家で、香港島の上環に小さなワークショップを持っていた。

そこが普段の私たちの練習場だった。

これが上環にあるジェームスのワークショップ内部。

私たち3人は、いつもここで練習をしていた。

クリスも私も、ここに楽器を置きっぱなしにしていた。

仕事帰りに楽器を担いで動き回るっていうのは、結構疲れるものだから。

職場にベース担いで出勤するっていうのもなんかね。

西貢のスタジオは、普段の私たちからすれば素晴らしい環境だった。


ファーストアルバムのレコーディング

問題は、レコーディングは長時間かかることだった。

音に問題があれば何度もテイクをやり直すし、その都度チェックしてはまたテイクの繰り返し。

何度も何度もプレーすることになる。

特にジェームスのヴォーカルは、何度もテイクを繰り返していて時間がかかった。

そんなとき、私はどうしても飽きてしまって、階下へ降りてこの家にいる犬たちと逃避へ走っていた。

チームプレーには向いていないとつくづく思う。

この家には犬が3匹いた。

この犬らと共にバックレて、爆睡して過ごしていた時もあった。

遠くでジェームスのヴォーカルが聴こえていたようだった。

クリスはなぜかスタジオから出てこなかった。

ドンドン(犬の名前)を胸に載せて惰眠の至福を貪っている時だった。

「Akiko, ベース入ってくれ」

というクリスの言葉で現実へ引き戻された。

至福は時は無残にも奪われた。

一日のレコーディングが終わった後には、近所を散歩して歩いた。

西貢は自然が多く、道に野生の牛や鹿がいることがあった。

香港の街中ではあり得ないこと。

二日目の夜には近場の町まで車で行って、みんなでタイ料理を食べた。


結局、この時のレコーディングの成果で私たちのファーストアルバムは無事完成したのだ。

クリスは今でも私に会うとCDをくれる。

もう何枚も持っているのだけれど。

つい数日前(2019年1月時点)にクリスに、

「最近どうよ」

と聞いたところ、

「Still working on the second album. まだセカンド・アルバムやってる」

と言っていた。

確か数年前からそのはずだ。

一体何が難航しているのかは知らないが、アルバム一枚完成させるのに3年以上もかかるとは。

こう言っては何だが、そんな大したバンドではないのだ。


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プロフィール

 

1973年生まれ。

 

1993年から今までで19か国(一部地域)を訪れ、5か国での生活を経験しました。

 

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